
最初に乗り始めたのがナナハンだったからか、自動車に関してもどうしても風が欲しくてオープンカーに目が行ってしまう。 最初に自分のマイカーになったのが、ホンダのNッコロ。知人が廃棄するというので、ただでもらいに行った車両である。 360CCながら、ライムグリーンに塗装したり屋根に穴を開けてサンルーフを付けたり結構いじくりまわした。自動車業界の「ニコイチ」の言葉とやり方(2台の車両をぶった切って1台にする)を知ったり、車体番号の打ち換え方を教わったり、と楽しい時代であった。その後は、マツダのファミリアブレスト・・・・、マフラーカッターをつけてロータリーの加速を味わった。 そして、ワンテールのだるまセリカ。ノンスリを入れタコ足を入れてTRDのキットを入れて・・・・、大学生時代は本当に貴重な時間であった。 社会人になりサラリーをもらうようになってから欧州車を所有するようになった。ライトウェイトのMGB-GT、MGB、TR-3・・・・、FISCOで開催されたGCの前座レースに出場しフェラーリの松田さんを知り、以降、イタ車に流れた。
8気筒の308は、一応エンジンの全バラ、くみ上げを経験し、ダウンドラフトのDCNFの調整の苦労を知った。日産のスカイラインPGC10、KPGC10、KPGC110、Z432に搭載されたS20のサイドドラフトDCOEの同調の楽なこと楽なこと、なぜ、プリンスがR380でダウンドラフトを選択しなかったのか判った気がした。そして、最後のイタ車が12気筒のBBであるが、さすがにエンジンの全バラは断念し、今のS600になっている。 なぜ、S600なのか。それは、ボーグ&ベックのクラッチのあまりの重さに左足が耐えられなかった事、及び、メタルではなくニードルローラーのレスポンスの良さから昭和42年生まれ、御年52歳のS600が今の愛車である。エンジンは700CCに換装し、CVからFCRに入れ替え消音器はバイクのカワサキZ2のヨシムラサイレンサーを付けて遊んでいる。 エンジンはバイクなので、下手すると1万rpmまで・・・・、クロノメトリックのタコメーターが小気味よい。 いつも言われるが、ボロ車を所有しいる小谷田さんがなぜ機能安全?、と言われるが、今のコンピュータ制御に対するアンチテーゼに過ぎない、のと、とても今の車両を購入する意欲がわかないから。